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第四話  神田川の猫
  ワイフとは学生時代に同棲を始めてしまった関係だ。だから、ひどく長い。 僕らは同じ大学の同じ語学クラスで出会い、田舎者の僕が都会育ちの高貴な猫のような存在の彼女に一目惚れしてしまったのが真相だった。 長い黒髪と長身のカラダをロングコートに包み、キャンパス内のスロープを歩く彼女につけられたアダ名は「マダム」だった。 若い頃から大人びていたのだ。
  僕らは大学2年目の初夏には、大学のある街に1本で直結する郊外の私鉄沿線の町で貧相なアパート暮らしを始めた。 ある冬の日、同じクラスの友人に招かれて2人で中野近辺のアパートを訪ねたことがあった。 ワインや安いウィスキーで飲み明かし、僕らは早朝に友人のアパートを出たのだった。 神田川沿いを歩いていけば、僕らの利用する私鉄駅に出られると教えられ、二日酔いでフラフラする頭を抱えながら、 僕らは2人だけのねぐらに戻ろうとしていた。
  神田川は高田馬場あたりでよく氾濫を起こすと言われ、すでに30年も前から護岸工事が進められていたため、 雨の少ない時期などまるで小さな溝川を巨大なコンクリートの防波堤で守っているような違和感を覚えたものだ。 幅6〜7mの川面の半分ほどにみすぼらしくさえ見える量の水が流れ、 測道を歩く僕らの目の高さからその水面までヘタすりゃ10mもあるようにさえ見える。
  いつ私鉄駅に出られるかも分からぬまま2人並んで歩いていくと、 どこかで「に〜」と弱々しくもハッキリ猫と分かる鳴き声がする。再び聞こえた「に〜」はなぜか逼迫した感じの鳴き声で、 その声はどうやら屹立するコンクリート壁にガードされた神田川の川底から聞こえてくる。 目の前に橋を見つけて、僕らはそこから神田川の川底を注視した。 見ると、蛇行して流れる水によってそこだけが孤立した岸辺になっている場所に、白黒ブチの猫が身を震わせて鳴いている。 猫の背後はそそり立つコンクリート壁で、どこにも行き場がない。 すぐ近くの民家の主婦に、事情を話して長い洗濯ヒモとプラスティック製の洗濯籠を借りた。
  勝算があったワケではなかった。ヒモの先に籠の持ち手をくくりつけ、川底にそっと下ろしたら、 その中に猫が勝手に入ってくれないだろうか? という計算だった。 近くに川底に降りられる階段や梯子のようなモノもなかったし、とっさに思いついたこの方法しかなかったのだった。
「おいでよ」「お入りよ」
  うまいこと籠を横に倒せた瞬間に、 その窮地から脱するためにはそれしか方法がないと察知したのだろう、ためらいなく猫は籠に侵入したのだった。 ゆるゆると僕はヒモを引っ張り、予想もしない短時間で猫を引き上げることに成功した。 地上に引き上げる寸前に、猫は今度は見知らぬ人間の顔に恐怖を抱いたのか、ビョンとジャンプして籠から脱出し、 近くの民家の塀の陰に逃走してしまった。ひと撫でぐらいさせてくれたってイイじゃないか、と思わないでもなかったが、それが猫なのだった。
  この出来過ぎたハナシ、何度友人に話しても信じてもらえない。
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